前回は「願わくは、御名をあがめさせたまえ」の箇所から学びました。この祈りは、新約聖書の原文には「御名が聖とされますように」とあります。「聖とされる」とはどういう意味でしょうか?ユダヤ人にとって、「聖とする」とは特別な意味をもちます。ユダヤ人の言葉(ヘブル語)で「聖とする」とは「コーデシュ」といい「切り離す」とか「分離される」という意味があります。つまり、私たち人間とは切り離されて、何にも比べられず、およびもつかない方として、畏れられ、御名をあがめられることを「聖とされる」というのです。私たちは、まず、非常に親しく「天のお父さん」と呼びかけるのですが、決して馴れ馴れしくならず、自己中心にならず、神様を自分の意のままに操ろうとせず、「ただあなたの名前だけが、天でも地でも崇められますように」と祈るのです。自己中心ではなく神中心。それが祈りの基本であり、信仰の基本なのです。
① 御国が来ますように。
今日学ぶのは「御国を来たらせたまえ(御国が来ますように)」との祈りです。この祈りはどういう意味でしょうか?御国とは、「神の国」のことだから、どこかの国が丸ごと回心して、信仰深くなることでしょうか。それも100%の間違いではありませんが、まずは本質を理解しなければいけません。ルカ17章20-21節にはこうあります。「神の国は、… 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」◆ギリシャ語で「御国」は「バシレイア」といいます。これは「統治・支配」とも訳される言葉です。支配と言うと、良いイメージはないかもしれませんが、神様の支配は「愛と聖さ」による支配です。また神様は、みこころに従う「人」を通して、その支配を世界の隅々まで広げられます。ちょうど血行不良の不健康なからだに、みこころに従う人という「通り良き管」が通され、新鮮な血液が再び行き廻り、健康になっていくように、です。
②この地上に、神の国が広がりますように。
神様は、もともとこの世界を「非常によい」ものとして創造してくださいました。神様の目から見て、非常によい世界とは、神と人とが深い信頼によって結ばれ、人間同士が愛し合い、自分自身を大切にし、被造物を愛し守る、そういう世界のことです。その状態をシャローム(平和)と言います。◆しかし人間の心に罪が入って来て、その平和は失われてしまいました。罪の本質は「自己中心」です。私たちは、神様の代理人として、平和をつくり続け、世界を正しく管理する立場に置かれたのに、「神様なんて関係ない。俺は俺の思い通りになる、オレ様の王国をつくるんだ!」と道を踏み外してしまいました。そして、そのような「的外れ」な生き方が、まるでガン細胞のように世界中に広がり、世界は、罪という病に汚染されてしまったのです。◆でもイエス様を信じた人の心には、小さな「からし種」ほどの「新しいいのち」が与えられます。それはとても小さいのですが、大きな生命力を内に宿しています。もしその人が、主のみこころに従って歩むなら、その人を通してこの地に再び「いのちの水」が流れ出て、平和が回復されるのです。
③ マラナタ「主イエスよ、来て下さい」
今日も私たちは祈ります。①まず私たちの内に、神の国が来ますように。心の中の不純な思い(肉の思い)が聖霊の火によってすべて燃やし尽くされ、イエス様が私たちの心を支配し、いのちの水があふれますように!②そして教会に集まり、ただ神を仰ぎ見、礼拝し、熱心に祈り、伝道する群れとなりますように!③そこから遣わされる一人一人が、家庭、学校、職場、地域において、キリストの愛を実践する「通り良き管」となることが出来ますように!④岐阜市と瑞穂市に、いのちの水が川のように行き廻り、町が生き返りますように!⑤日本全体に、キリストが宣べ伝えられ、罪を悔い改め、神様の愛に立ち返る人が起こされ、みこころに従う為政者が与えられるように。そして、アジアをはじめ、世界が膝をかがめて、主の御名を崇めますように!こうして、神の国は、グングン広がっていきます!!◆そして、突然、終わりの時が来ます。その時、どんなに立派に見えても、人間的な動機で建て上げられたものは一瞬にして滅びさります。立派な会社も、立派な家も、立派な国も滅び去ります。しかし、神の国は滅びることはありません。滅びないばかりか、その日、イエス様のはじめられた神の国は「完成」されるのです。御心に従わない者にとって、その日は恐怖もしくは無関心でしょうが、主を慕い求める者にとっては「希望の日」なのです。私たちはそういう願いも込めて、御国を来たらせたまえ、と祈りましょう!
ルカ
17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
マルコ
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
黙示録
21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。
ルカ
17:20 さて、神の国はいつ来るのか、とパリサイ人たちに尋ねられたとき、イエスは答えて言われた。「神の国は、人の目で認められるようにして来るものではありません。
17:21 『そら、ここにある。』とか、『あそこにある。』とか言えるようなものではありません。いいですか。神の国は、あなたがたのただ中にあるのです。」
マルコ
4:30 また言われた。「神の国は、どのようなものと言えばよいでしょう。何にたとえたらよいでしょう。
4:31 それはからし種のようなものです。地に蒔かれるときには、地に蒔かれる種の中で、一番小さいのですが、
4:32 それが蒔かれると、生長してどんな野菜よりも大きくなり、大きな枝を張り、その陰に空の鳥が巣を作れるほどになります。」
黙示録
21:1 また私は、新しい天と新しい地とを見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。
21:2 私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。
22:20 これらのことをあかしする方がこう言われる。「しかり。わたしはすぐに来る。」アーメン。主イエスよ、来てください。