前回学んだ祈りは「我らに罪をおかす者を、我らが赦すごとく、我らの罪をも赦したまえ」でした。多くの人が、この祈りに、戸惑いを覚えます。もし私たちが、自分の赦すようにしか、神様に赦してもらえないのだとしたら大変です。だから多くの人は、もっともらしい理由をつけて、この祈りを捻じ曲げてしまうのです。でもイエス様は「このように祈りなさい」と主の祈りを教えられました。もし、この祈りを本気で祈るなら、私たちは自分がいかに赦せない者であるかに気づき、愕然とするでしょう。その体験が大切なのです。そして心砕かれ、こう祈る者となることが大切なのです。「主よ、これが私です。愛がないのです。自分の力では赦せません。でもあなたは、こんな私のためにも十字架にかかって下さいました。ありがとうございます。どうか私が、あなたの恵みによって赦された者として、憐れみ深くあることが出来ますように。アーメン!」
① 我らをこころみにあわせず・・・弱さを認めることから始まる
① 我らをこころみにあわせず・・・弱さを認めることから始まる
それに続く今日の祈りが、「我らをこころみにあわせず、悪より救いい出したまえ」です。多くの人は、自分の弱さを恥じます。特に男性はそうです。道に迷った時、女性よりも男性の方が、なかなか道を尋ねようとせず、なるべく自力で解決しようとするそうです。なぜだと思いますか?「それは自分の弱さと負けを認めるに等しいからだ」というのです。何と馬鹿げているのでしょう。尋ねればすぐに解決するかもしれないのに、自分の力に頼って、ますます袋小路に迷い込み、物事を複雑にしてしまうのです。◆あるクリスチャンは、「我らをこころみにあわせず、悪より救いいだしたまえ」と祈るのではなく「悪よ、もっと襲いかかれ!」と言います。聖歌にも「来なば来たれ試みよ、襲いかかれ悪しき者♪」という歌詞があります。主によって鼓舞(こぶ)された勇(いさ)ましい信仰を歌っていることは理解していますが、本日の主の祈りに照らし合わせると、慎重にならざるをえません。基本的な姿勢としては、やはり、自分の弱さを認めて「試みにあわせず」「助けて下さい」と祈るべきなのです。パウロはこう言いました。「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(Ⅱコリント12章9節)」弱さを認めることは「敗北」ではありません。更なるキリストの力が、私たちを覆うためなのです!
② 「悪」より救いいだしたまえ・・・どうしたら悪から救われるのか?
続いて「悪より救いいだしたまえ」とありますが、「悪」とは何のことでしょう?ある人々は「悪い者・悪い人々」のことだと言います。それも間違いではありません。実際に、聖書の脚注にも、そう説明されています。 でも、それだけではありません。この「悪」と同じ言葉が、以下のパウロの言葉の中の、二重カギカッコの中にも使われています。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの『悪霊』に対するものです。ですから、『邪悪』な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。(エペソ6章10-18節・抜粋)」◆つまり「『悪』より救いだしたまえ」とは、悪霊の働きからも救い出したまえ、との意味を含んでいるのです。でも「悪霊」とは「霊」ですから、素手や武器で戦うことはできません。いったい私たちはどうしたら、悪霊の働きから救い出されるのでしょう?それは「神の武具を実につけることによって」です。神の武具には、真理の帯や、正義の胸当てなど、色々なものがありますが、そのリストの最後には「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい」とあります。悪霊の働きには、聖霊(御霊)の働きで立ち向かわなければなりません。それこそ「祈り」なのです。
③ 祈る時・・・主が火の城壁となってくださる!
私たちの周りには、悪霊の誘惑が満ち溢れています。それは時に、天使のように美しい姿や、魅力的な姿で、私たちに近づいて来ます。また、反キリスト的な考え方や、間違った教育、雑誌などを通しての価値観として近づいてくるかもしれません。悪魔は、あの手この手で、何とか私たちの心をイエス様から引き離そうとしているのです。自分は大丈夫でも、信仰の弱い兄弟姉妹や、イエス様に興味を持ち始めた求道者が狙われています。ちょうどライオンが、群れの弱い者を狙うように!だから私たちは、自分のためにはもちろん、群れ(教会)全体が守られるように祈らなければなりません。その時、主ご自身が、私たちを守る「火の城壁」となってくださるのです!
私たちの周りには、悪霊の誘惑が満ち溢れています。それは時に、天使のように美しい姿や、魅力的な姿で、私たちに近づいて来ます。また、反キリスト的な考え方や、間違った教育、雑誌などを通しての価値観として近づいてくるかもしれません。悪魔は、あの手この手で、何とか私たちの心をイエス様から引き離そうとしているのです。自分は大丈夫でも、信仰の弱い兄弟姉妹や、イエス様に興味を持ち始めた求道者が狙われています。ちょうどライオンが、群れの弱い者を狙うように!だから私たちは、自分のためにはもちろん、群れ(教会)全体が守られるように祈らなければなりません。その時、主ご自身が、私たちを守る「火の城壁」となってくださるのです!
しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。
─主の御告げ─
わたしがその中の栄光となる。
ゼカリヤ2章5節
6:10 終わりに言います。
主にあって、その大能の力によって強められなさい。
6:11 悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、
神のすべての武具を身に着けなさい。
6:12 私たちの格闘は血肉に対するものではなく、
主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。
6:13 ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、
また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、
神のすべての武具をとりなさい。
6:18 すべての祈りと願いを用いて、
どんなときにも御霊によって祈りなさい。
そのためには絶えず目をさましていて、
すべての聖徒のために、
忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
エペソ人への手紙6章10~13,18節