「待てなかったサウル」Ⅰサムエル12章20節~13章15節


前回から今回までのあらすじ:名もなきサウルが王に任じられました。彼は最初とても謙遜な王でした。民の中には「この者がどうして我々を救えよう(10:27)」と侮る者もありましたが、彼は権力を振りかざすことなくただ黙っていたのです。◆その後彼は、しばらく牛を飼っていたようですが(11:5)、ヤベシュの人々の窮地に、神の霊に満たされて立ち上がり、イスラエル33万の兵士を招集し、アモンに対して劇的な勝利を収めました。そこで彼は名実ともにイスラエル初代の王となったのです。◆12章でサムエルは再び警告しています。「ただ、主を恐れ、心を尽くし、誠意をもって主に仕えなさい。主がどれほど偉大なことをあなたがたになさったかを見分けなさい。あなたがたが悪を重ねるなら、あなたがたも、あなたがたの王も滅ぼし尽くされる。(24-25)

1.サウルは初めから躓いてしまいました。イスラエルとペリシテとの戦いが再び始まりました。今までも局所的な戦いはありましたが、サウルの息子ヨナタンが、相手の守備隊長を撃ち負かしたことをきっかけに、全面戦争へと突入してしまいました。サウルは国中に角笛を吹き鳴らし「ヘブル人よ、聞け!」と宣戦布告しました(3)。当時のペリシテ人はイスラエルよりはるかに金属加工に優れており、強力な武器をもっていました。人数においても、この時のイスラエルは3千人であったのに対し、ペリシテ人は戦車3万、騎兵6千でした。まさに絶体絶命のピンチです。◆この時彼らは思い出すべきでした。まだ王のいない時、サムエルがどのようにしてペリシテ人と戦っていたのかを。彼は「イスラエル人をみなミツパに集めなさい。私はあなた方のために主に祈りましょう(7:5)」と呼びかけ、民を、断食と悔い改めへと導いたのです。民も「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください(8)」とサムエルに頼みました。そうして主の特別な介入があり勝利したのです。サムエルは祈りによって国を守ってきました。でも民はそのサムエルと主を退け「王」を欲しがったのです。目に見えるものにすがる者は、目に見えるものに躓きます。

2.民にも原因がなかったとは言えません。彼らは、自分たちが王を欲しがったにもかかわらず、「この人ではダメだ」と文句を言ったり、大事な時に逃げ出したり、本当に勝手なものです。彼らは、ほら穴や、奥まった所、岩間、地下室、水ための中に隠れ、ある者は、ヨルダン川を渡って遠くに逃げてしまいました。残ったのはわずかに600人です!サウルとてパニックだったでしょう。◆かつてサムエルはこう言っていました。「あなたは私より先にギルガルに下りなさい。私も全焼のいけにえと和解のいけにえとをささげるために、あなたのところへ下って行きます。あなたは私が着くまで七日間、そこで待たなければなりません。私があなたのなすべき事を教えます。(10:8)」でも彼は待てませんでした。もちろん言い訳はいっぱいあります。「だって民が私から離れて行こうとしたのです。」「だって、あなた(サムエル)だって期日通りに来なかったではありませんか。」しかしサムエルは言いました。「あなたは、なんということをしたのか。(11)


3.この一件でサウルは祝福を失ってしまいました。なにが問題だったのでしょう?単に約束を破り、自分でいけにえをささげたということではありません。彼は結局、人を恐れ、自分を守るために、主と主の働き人を軽んじたのです。聖書にこうあります。「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる。(箴言29:25)」◆私たちはどうでしょうか?いつの間にか、神様よりも、人を恐れていないでしょうか?恐れから、焦りが生じ、祈らず、自分の考えだけで突き進んでいないでしょうか?形だけの礼拝は守りながら、いざとなったら、聖書のみことばも、主の働き人の助言もそっちのけで、自分で決めた通りにすればいいと思っていないでしょうか?困難の中でも、主からはっきりした導きがあるまでは、待ち望む勇気があるでしょうか?詩篇にはこうあります。「あなたの道を主にゆだねよ。主に信頼せよ。主が成し遂げてくださる。…主の前に静まり、耐え忍んで主を待て。…人の歩みは主によって確かにされる。(詩篇37:5,7,23)」