前回から今回までのあらすじ:
1Sam. 17:45 ダビデはペリシテ人に言った。
サムエルは、エッサイの末っ子ダビデに油を注ぎました。それは非常に危険なことでした。まだ現役の王の存命中に、新しい王を任命することになるのですから…。しかしサムエルは主のことばに従いました。その日以来、主の霊がダビデの上に激しく降りました。反対に、サウルから主の霊は去り、彼は災いの霊にとりつかれ、ひどく怯え始めました。その心を鎮めるために、サウルは立琴奏者を探し求めました。そして何も知らないサウルのしもべは、ダビデを推薦し、主の導きによってダビデはサウルのしもべとなりました。サウルはダビデを非常に愛し、彼はサウルの道具持ちとなりました。
その頃のイスラエルの前は、壁にぶち当たっていました。それはペリシテ人の存在でした。ペリシテ人は、今日のパレスチナ人の語源となっていますが、人種的には全く違います。今日のパレスチナ人はアラブ系ですが、ペリシテ人は海岸に広がったヨーロッパ系の民族でした。彼らはイスラエル人よりも背が高く、最先端の金属加工技術を独占していました(13:19-20)。彼らは、内陸部への領土拡大を狙い、イスラエルに戦いを仕掛けていたのです。
その中でも特に恐れられていたのはゴリヤテでした。彼は身長が6キュビト半(2m86㎝)で、総重量5千シェケル(57kg)もある鎧(よろい)を身につけていました。そしてイスラエルの陣にこう叫びました。「今日こそ、イスラエルの陣をなぶってやる。一人をよこせ、ひとつ勝負しよう。(10)」それを聞いて、イスラエル人は意気消沈し、非常に恐れました(11)。あなたの目の前にもゴリヤテがいませんか?自分の力ではどうしても解決できそうにない、手ごわい問題はないでしょうか?あなたはその問題を前に意気消沈していませんか?
若いダビデは違っていました。彼はゴリヤテの言葉を聞いて、こう言いました。「この割礼を受けていないペリシテ人は何者ですか。 生ける神の陣をなぶるとは。(26)」しかし、長男エリアブはこう言ってダビデをたしなめました。「いったいおまえはなぜやって来たのか。・・・私には、おまえのうぬぼれと悪い心がわかっている。戦いを見にやって来たのだろう。(28)」またサウルもダビデを子供扱いし、こう言いました。「あなたは、あのペリシテ人のところへ行って、あれと戦うことはできない。あなたはまだ若いし、あれは若い時から戦士だったのだから。(33)」そしてダビデに自分の鎧を着せました。
あなたも何かに立ち向かおうとする時、周りのみんなは、「あなたには無理だよ」と、あなたの気持ちを挫(くじ)こうとするかもしれません。また、あなたの動機を疑って「どうしてできると思うのか?あなたは傲慢で、うぬぼれている」と非難するかもしれません。また善意から「こうしなさい、ああしなさい」とこの世の中の知恵をアドバイスし、あなたをがんじがらめにしてしまうかもしれません。
しかしダビデは、ただ「万軍の主の御名によって」ゴリヤテに挑みました(45)。彼は言いました「この戦いは主の戦いだ。主はお前たちを我々の手に渡される(47)」。そして川から なめらかな石を5つ拾ってきて、それを羊飼いの使う投石(とうせき)袋に入れ、石投げを手にしてゴリヤテに立ち向かいました。それが普段から一番使い慣れた武器だったからです。
あなたは目の前に立ちはだかる壁に直面した時、どのようにそれを乗り越えようとするでしょうか?この世の処世術やハウトゥー本、心理学を読みあさって、鎧を着込もうとするでしょうか?それとも、問題が起きてから、自分を励ましてくれる聖書の言葉を拾い読みし、付け焼刃で勝負しようとするでしょうか?一番良いのは「使い慣れた道具」で立ち向かうことです。すなわち普段から地道に、みことばと祈りに慣れ親しんでいることが大切なのです。