<前回までのあらすじ> 前回の箇所で「イスラエル王国」はついに統一されました。サウル家に残された二人の略奪体の隊長が、サウルの息子イシュ・ボシェテを暗殺し、ダビデの所に、喜び勇んで報告しにきました。しかしダビデは答えました。「ひとりの正しい人を、その家の中の、しかも寝床の上で殺したときはなおのこと、今、私は彼の血の責任をおまえたちに問い、この地からおまえたちを除き去らないでおられようか。(11)」ダビデは、そんな人間的な知恵や方法ではなく、あくまで主の時と方法によって、王とされることを待ち望んでいたのです。そして、ついにそれが叶(かな)い、ダビデは、全長老によって油注がれ、統一イスラエルの王とされたのです。
イスラエルが統一された時、ダビデが真っ先にしたことは遷都でした。それまで、ヘブロンで、主にユダ族を収めていましたが、それをエルサレムに移すことにしたのです。そこは、もともとカナン人の一族、エブス人の町で、強固な要塞で知られていました。実際に、イスラエルは、カナン移住以降もずっとその町を攻めとれずにいました。エブス人たちもそのことを鼻にかけ、ダビデに対して「あなたはここに来ることはできない。目の見えない者、足のなえた者でさえ、あなたを追い出せる。」といって侮(あなど)りました。◆しかし、その驕(おご)りが仇(あだ)となりました。ダビデは、高地であるエルサレムでの生活のためには「水汲み地下道」が必要であることを突き止め、そこから町に侵入し、ついに陥落させたのです。そしてその町は「ダビデの町」とも呼ばれるようになりました。エブスの人々は、自分たちの要害を誇りましたが、ダビデは主を誇りました。聖書にはこうあります。「万軍の神、主が彼とともにおられた(10)」。
ダビデの力と勢いは、周辺諸国にもとどろきました。ツロの王ヒラムは、ダビデの王宮建設にために、自ら、杉材、大工、石工を提供しました。しかし心配なことも記されています。ダビデは国が安定しだすと、さらに多くの側女(そばめ)と妻たちをめとったのです。政治的な理由もあったのかもしれませんが、これは、律法で禁じられている行為でした(申17:17)。それが後々、家庭内不和にもつながっていくのです。でもこの時、ダビデの心は、まだ主にかたく結びついていました。◆ダビデの勢いが盛んになるにつれ、ペリシテ人たちが、ダビデに波状(はじょう)攻撃を仕掛けてきました。その時、ダビデは主に伺(うかが)い、その言葉に従い、勝利を収めました。ダビデはその時の様子をこう表現しました。「主は水が破れ出るように『私の前で』私の敵を破られた(20)」。ところがペリシテ人は、再度、攻めてきました。しかしその時もダビデは、前回の成功体験に頼ることなく、もう一度、心あらたに主に伺い、「後ろに回れ(23)」との言葉に従い勝利しました(25)。これらの勝利の背後には、いつもダビデに先立って、戦ってくださる主の存在がありました(24)。
これらのことを通して、ダビデは次のことを理解しました。「主が、彼をイスラエルの王として堅く立て、ご自分の民イスラエルのために、彼の王国を盛んにされたのを知った(12)」。つまり全部「自分の力じゃないし、自分のためでもない」ことを悟ったのです。主は、主の目的のため、ダビデを選んで用いてくださった。それはアブラハム契約「わたしはあなたを大いなる国民とし、…地上のすべての民族は、あなた(イスラエル)によって祝福される(創12:1−3要約)」の成就のためでした。◆あなたも同じです。始める前に主に伺いなさい。そしてうまく行っても「私は自分の手の力でやった。私の知恵でやった。私は賢いからだ(イザヤ10:13)」と思ってしまうことのないように。主は謙遜な人を高く引き上げ、祝福してくださるのです。