「ウザの割りこみ」 Ⅱサムエル6章1−11節

<前回までのあらすじ>
主の導きにより、統一イスラエルの王となったダビデは、前回の箇所で、イスラエルの首都をエルサレムに移しました。その頃から、「ダビデはますます大いなる者となりました。」「万軍の神、主が彼と共におられた(10)」からです。ダビデの噂を聞いたペリシテ人は、ダビデに波状攻撃を仕掛けてきました。しかしダビデはその都度、主に伺い、主の言葉に従い、ことごとく勝利しました。それは「主ご自身が、ダビデの前に出て、戦って下さった(24)」からでした。

ダビデは今日の箇所で、「契約の箱」のエルサレム移管に取り掛かりました。ダビデはイスラエルの精鋭三万をことごとく集め、華々しく契約の箱をイスラエルに運び込もうとしました。それは、神様を中心とした新しい国家を築きたいとの、純粋な動機からでしたが、もう一方で、そうやって、自分の支持基盤を磐石(ばんじゃく)なものにしたいとの思いもあったのかもしれません。◆イスラエルには12部族があり、それぞれに長老という代表がいる、共和国のような体制でした。ユダ族と残りの部族は、つい最近まで二つの王国に分かれて争っており、それらを統一し、一つの王国となしていくのは並大抵のことではありませんでした。前回の箇所で、ダビデはどの部族にも属していなかったエルサレムに都を移し、宿敵ペリシテを破り、民の心を鷲掴(づか)みにしましたが、そのダビデが、次に目をつけたのが契約の箱でした。

でもそこにはある種の誘惑がひそんでいました。それは神様の政治的利用です。サウルはその誘惑に負けてしまいました。彼は、自分の元を離れていってしまう民を引き止めるために、自分の手で生贄をささげてしまったのです(Ⅰサム13:9)。ダビデにもその誘惑がなかったとは言えません。◆契約の箱とは、神様がモーセを通して語られた通り、内外純金で覆われた箱(130cm×80cm×80cm)であり、中には十戒の石板が収められていました(出25章)。直接に手で触れてはならず、下の四隅には金の輪(かん)が取り付けられ、そこに棒を通し、レビ人(ケハテ族)だけが肩に担いで運ぶことを許されていました(民4:14-15,7:9)。神様の臨在の象徴とされ、その蓋に据えられた二つの純金のケルビム(天使)の間から、主は民に語られました。◆神様はその時代、その箱を通して、神と神のことばを敬い、畏れることを教えていました。サウルはこの箱にほとんど関心を示しませんでした(Ⅰ歴13:3)。それが彼の信仰を物語っています。でもダビデはいち早くこの契約の箱に注目しました。そこで彼の霊的なセンスを見ることができます。でもその運び方がマズかった。ダビデはその箱を、かつてペリシテ人がしたように牛に運ばせ(Ⅰサム6章)、ひっくり返しそうになると、ウザが直接手で触れて抑えようとし、それによってウザは死んでしまいました。

初めてこの話を読んだ時、いくらなんでも、と思いました。ウザとしては、大切な箱がひっくり返らないように、善意から手を伸ばしたのです。でも神様は怒りを燃やされました。彼は慣れっこになっていました。その箱は、ずっと彼の家に置いてあったのです(6:3)。その馴れ馴れしさと、これくらい良いだろうという甘えが、命取りになりました。◆ダビデも、この一件によりハッとしたことでしょう。やはりどこかで、神様を、自分の政治的な道具として、利用しようとしていた。でもこの出来事により、もう一度襟を正され、立ち止まり、計画を見直したのです。私たちは大丈夫でしょうか?自分では、いいことをしているつもりでも、いつの間にか不純な動機が混じって、御心から遠く離れてしまっていることがあります。そんな時は、なるべく早くダビデのように立ち止まり、悔い改め、神様を第一として再出発できますように。