<前回までのあらすじ>
前回の箇所で、ダビデは「契約の箱」のエルサレム移管に取り掛かりましたが、そこには神様の政治的利用という誘惑が潜んでいました。しかし彼の目の前でウザが、直接契約の箱に触れたことにより打たれ死んでしまったことにより、彼は自分の傲慢に気づき、もう一度計画を白紙に戻し、一から出直すのでした。
ダビデはいったん、その契約の箱をガテ人オベデ・エドムの家に運び込みました。ガテ人とは、ペリシテの一部族で、あのゴリヤテの出身部族でもありました。なぜイスラエルの町ではなく、オベデ・エドムだったのでしょう。おそらく、ウザの一件により、イスラエル人たちの間に恐れが広がり、誰も受け入れられなかったのでしょう。しかし、神様はオベデ・エドムを祝福され、神様の怒りが収まったことを確認したダビデは、仕切り直して契約の箱をダビデの町(エルサレム)に運び込むのです。◆ダビデは、前回とは180度変わっていました。前回はイスラエルの精鋭3万をことごとく集め、非常に威圧的に進められながら、ある部分ではいい加減に、契約の箱を牛によって運ばせました。でも今回のダビデは、レビ人をことごとく招集し、彼らに先を行かせ、彼らに担がせ、エルサレムへと向かいました。しかもエルサレムについてからも、毎日レビ人たちを契約の箱に仕えさせました(Ⅰ歴代15−16章)。また、始めと最後には、主へのいけにえを捧げる念の入れようでした(13-17節)。
ダビデは主の御前で力の限り踊りました(14)。前回の箇所でも踊りましたが (5)、今回は、まるで「裸になるように(20)」踊りました。もしかしたら、エポデの中に下着を着けておらず、そのまま激しく踊ったので、あられもないことになっていたのかもしれません。それは決して上品な踊りではなく、まるで子牛のようにとびはねて、体全体で喜びを表わすような踊りでした。それが、彼なりの霊的な礼拝でした。やっと不純な動機から解放され、純粋に主を見上げ、契約の箱を迎えできることを喜んでいるのです。しかも彼は、その喜びを民全体と共有したのです(19)。◆でも一人蚊帳(かや)の外に立つ女性がいました。ダビデの妻ミカルでした。彼女は一心不乱に踊る夫ダビデの姿を、冷ややかに窓から見下ろし、こう言いました。「イスラエルの王は、きょう、ほんとうに威厳がございましたね。ごろつき(直訳:からっぽの男)が恥ずかしげもなく裸になるように、きょう、あなたは自分の家来のはしための目の前で裸におなりになって。(20)」ヒヤッとするほど、冷淡な言葉です。
なぜミカルは、ダビデをさげすんだのでしょう。サウル王の娘として生まれ育った彼女にとって、羊飼いから王になったダビデは、あまりにも「からっぽ」に見えたのでしょうか?歴史の波にもてあそばれ夫パルティと引き裂かれたことへの怒りでしょうか(3:15)、ダビデがたくさんの妻をめとったことへの憤りでしょうか(5:13)。色々考えられますが、一番の原因は彼女自身が、父サウルと同じく、契約の箱(神様自身)に無関心だったことです。だから何がそんなに嬉しいのかわからなかったのです。彼女はその「冷淡」によって祝福を失ってしまいました。◆一方のダビデは、完璧では全然ありませんでしたが、神様に対する情熱だけはありました。また、もともと自分には何もなく、王となった今だって、はしための一人一人に支えられなければやっていけないことをよくわかっていました (6:22)。◆あなたはどうですか?いつの間にか、ミカルのように高慢になり、人を見下していませんか?一心不乱に神様を賛美する人を馬鹿にしていないでしょうか?あなたも、ダビデのように心を裸にして、格好つけず、心からの賛美と礼拝を捧げることができますように。