『わたしが、あなたのために家を建てる』 Ⅱサムエル7章1−29節

<前回までのあらすじ>前回の箇所で、ダビデは「契約の箱」をエルサレムに運び込みました。その際、ダビデは主の御前で、喜びと感謝の心から、力の限り踊りました。ミカルは、そんなダビデを窓から見下して、皮肉を言って辱めました。先日、教会ではワーシップセミナーがありましたが、私たちはミカルのように冷淡なものになるのではなく、ダビデのような賛美と礼拝を捧げるものでありたいと思います。

エルサレムへの遷都と、契約の箱の移管が終わり、国は名実ともに統一し、落ち着きました。その頃のダビデは、立派な杉材の王宮に住んでいました。ツロの王ヒラムが、ダビデの威光を聞いて、使者を遣わし「杉材、大工、石工を送り、王宮を建てさせた」からです(5:11)。ダビデはそのことを申し訳なく思い、預言者ナタンにこう言いました。「ご覧ください。この私が杉材の家に住んでいるのに、神の箱は天幕の中にとどまっています(2)」。暗に、神殿建設の思いが述べられたのです。それはナタンにも正しく聞こえました。彼は言いました。「さあ、あなたの心にあることをみな行いなさい。主があなたとともにおられるのですから(3)」。◆しかしその夜、主の言葉がナタンにあり、大きく三つのことが語られました。①「わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場からとり、わたしの民イスラエルの君主とした。」②「主はあなたのために一つの家を造る(11)」③「あなたの家とあなたの王国とは、わたしの前にとこしえまでも続き、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ(16)」つまりあなたを王にしたのも、イスラエルの国を作ったのも「わたし(主)」であり。その「わたし」が、あなたの王座を(イエス・キリストに至るまで)永遠に守る、という約束です。

聖書(神様の言葉)では、大事な言葉が何度も繰り返される特徴があります。7章には「家(バイト)」という言葉が15回も使われていますが、その言葉には、普通の「家や家族」という意味の他にも、「神殿や王朝」という意味もあります。つまり神様は、「あなたは、わたしのために神殿を建てるつもりでいるかもしれないが、あなたが、わたしのために家を建てるのではない。わたしが、あなたの家を建てるのだ」と言われているのです。善意や正義感からでも、またもや自分が主の前にしゃしゃり出そうになっている、ダビデに対する警告でもありました。◆ダビデは、その主の御告げを聞いて、契約の箱のある主の臨在の前に座し、こう言いました。「神、主よ。私がいったい何者であり、私の家が何であるからというので、あなたはここまで私を導いてくださったのですか。」主の恵みに圧倒されて、はっと我に帰るダビデの姿です。18節から29節まで続くダビデの言葉の中で「しもべ(エベド)」という言葉が10回も繰り返されています。それは単なる自己卑下ではなく「神様の救いのご計画の実現のために、特別に用いられる人」という意味があります。彼はもう一度、驚きと恐れを持って、その役割を受け止めているのです。

ダビデは自分の計画にストップがかかったからといって、ふてくされるような人ではありませんでした。たとえ自分ではなくても、他の人(結果的にソロモン)が成功できるように、資材と働き人を揃え、準備を続けました(Ⅰ歴22,28章)。◆あなたはどうでしょうか?いつの間にか、自分が神様の心配をし、神様のために何かをして上げているつもりになっていませんか?自分の気持ちにこだわり続けて、自分の思い通りにならないと「もうやってあげない」と言っていませんか?そんな時は「これは主の働きであり」「自分はそのしもべにすぎない」ことに立ち返ることができますように。主は謙遜な者を引き上げ、王国(神の国)建設のために用いてくださるのです。