<前回までのあらすじ>
エルサレム遷都と契約の箱の移管が終わり、国が落ち着いた時、ダビデは預言者ナタンに神殿建設の思いを打ち明けました。それは最初ナタンにも良いことのように思えましたが、その夜、主の言葉がナタンにありました。それは簡単にいうと、「あなたは、わたしのために神殿を建てるつもりでいるかもしれないが、あなたが、わたしのために家を建てるのではない。わたしが、あなたの家を建てるのだ」という内容でした。ハッと我に帰り、謙遜にされるダビデでした。
そのイスラエルが、今日の箇所で一気に拡大します。裏の図2に、その様子を見ることができます。サウルの時代に王政が始まりましたが、その統治はまだまだ限定的でした。しかしダビデが、契約の箱を首都に移管し、みこころを中心とした統治を始めるや、その支配は周辺地域と諸外国に広がりました。これは神様が、アブラハムに与えられた契約の成就でした。「その日、主はアブラムと契約を結んで仰せられた。『わたしはあなたの子孫に、この地を与える。エジプトの川から、あの大川、 ユーフラテス川まで。』創世記18:15」◆図1を見ると、実際にその影響力が、エジプトの川からユーフラテス川まで及んでいたことがわかります。まさに四方八方への広がりです。ペリシテ人はエルサレムの西、モアブは東、ツォバとハマテは北、アラムは北東、エドム人は南側です。その広がりは、イエス様の「神の国(直訳:神の支配)」にも重ねて見ることができます。「人々は、東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。ルカ13:29」「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。使徒1:8」
この祝福は、決してダビデ個人の、能力や熱心だけによるものではありませんでした。聖書は重ねて、この勝利をもたらしたのは、あくまで「主ご自身」であると言っています。5節「こうして主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」13節「このように主は、ダビデの行く先々で、彼に勝利を与えられた。」そのことを一番よくわかっていたのはダビデ自身でしょう。彼は多くの領土や戦利品、そして貢(みつぎ)物を得ながらも、決して傲慢にならず、それを主に捧げ、地道に神殿建設の準備を継続したのです。11節にはこうあります。「ダビデ王は、それをもまた、彼の征服したすべての国々から取って聖別する銀や金とともに主に聖別してささげた。」◆そのダビデの統治は、ひたすら主のみこころを実現するためのものでした。15節「ダビデはイスラエルの全部を治め、その民のすべての者に正しいさばきを行った」。この「正しいさばき」とは、「主のみこころに沿って、適切に国を治めた」という意味です。決して、私利私欲を満足させるためではなく、神様の義とみこころが、この地上にもなる(実現する)ことを切に願って治めたのです。そして前回も話したように、ダビデは主のしもべとして、そのための通り良き管(くだ)となることを望んだのです。まさに主の祈りの「御国を来らせたまえ」です。
あなたはどうでしょうか。何かで成功したり、収入や祝福に預かったりする時、それを全部自分のもの(栄光)にしていませんか?それとも、その中から、主に聖別して捧げることによって、主の恵みのおかげであることを告白し、主に栄光をきしているでしょうか?また、あなたの究極の目的は、自分の成功ですか?それとも、自分を通して「神の国」が東西南北に広がることでしょうか? あなたが神の国とその義とを、まず第一に求めるとき、主はあなたを祝福し、成功させてくださるのです!