『恵みを、警戒せず』 Ⅱサムエル10章1−19節

<前回までのあらすじ>ダビデが国を統一し、支配が四方八方に広がり、ついにアブラハム契約の成就を見た時に、ダビデは何をしようと思ったでしょうか?人は権力を手にした時、本性が現れると言われていますが、ダビデはその勢いのピークの時に「サウルの家のものに神の恵みを施したい(3)」と願ったのです。かつての政敵であり、王位継承者のライバルとなりかねない相手です。でも、ダビデは、親友ヨナタンとの約束を果たすため、また神様からの一方的な恵みによって、羊飼いから王とされた者として、その神の恵みを、メフィボシェテにも施したかったのです。

今日の箇所にも、そのダビデの寛大さが表れています。彼は、隣国アモンの王ナハシュが死んだ時、こう言いました。「ナハシュの子ハヌンに真実を尽くそう。彼の父が私に真実を尽くしてくれたように(2)」。ダビデとナハシュがどういう関係だったのか、詳しくは分かりません。もしかしたら、ナハシュの時代、サウル率いるイスラエル軍は、アモンをひどく攻めたので(Ⅰサム11章)、そのサウルとダビデが仲たがいしていた時、ナハシュがダビデを援助していたのかもしれません。とにかく、このダビデの申し出は、100パーセントの善意と感謝から出たものでした。◆しかし、アモンのつかさたちは、ダビデの善意を警戒しました。そしてダビデが弔問団を送った時、新しい王ハヌンにこうアドバイスしたのです「ダビデを信じてはいけません。彼はこの町を調べ、後から攻撃するために、家来をあなたのところによこしたのです(意訳:3節)」。それを信じたハヌンは、ひどい侮辱をもって、ダビデの家来を送り返しました。すなわち、ダビデの家来たちを捕らえ、彼らのひげを半分そり落とし、その衣を半分に切って尻のあたりまでにして、はずかしめたのです。

ダビデにとって、自分の家来の恥は、自分の恥でした。ダビデは、恥ずかしくて、帰って来られない家来たちを気遣い「ひげが伸びるまで、エリコにとどまり、それから帰りなさい(5)」と声をかけました。それと同時に、アモンに対して激しく怒りました。それを察知したアモンは、アラムとの連合軍を形成し、イスラエルを迎え撃つ準備をしました。◆この時、力を発揮したのが将軍ヨアブでした。彼は精鋭部隊を招集し(9)、それを賢く配置して、敵を追い払いました (10-14)。しかしアラム軍は、隊を整え、再びイスラエルに挑んできました。すると今度はダビデ自身が立ち上がり、全イスラエルを招集し、敵に対して壊滅的な打撃を与えました。それを知ったアラムの諸王は、「イスラエルとの和を講じ、彼らのしもべとなりました(19)」。

ここから何を学ぶことができるのでしょうか?ダビデは「ハヌンに真実を尽くそう」と言いましたが、ここで「真実」と訳されている言葉はヘセド(חֶסֶד)といって「恵み」を意味します。前回も同じ言葉が登場しました。ダビデは「サウルの家のものに神の恵みを施したい(9:3)」と言いましたが、この「恵み」と同じ言葉です。つまりアモンの王ハヌンは、ダビデが与えたいと願った「恵み」を警戒し、かえって侮辱して、追い返してしまったのです。◆私たちも、同じことをしていないでしょうか?神様は、私たちに恵みを与えたいと願っておられるのに、私たちの側で警戒し、疑い、侮辱をもってはねのけてしまっていないでしょうか?2000年前も同じでした。神様が私たちを救うために、この世に遣わしてくださった、ひとり子イエスを、人々は十字架につけて殺してしまったのです。どうか私たちが、神様の恵みも、人からの優しさも、疑わず素直に受け入れ、平和をつくる者となることができますように。