<前回までのあらすじ>
ダビデは絶大な力と権力を手にしても、正しく、憐れみ深い王様でした。サウルの孫メフィボシェテを我が子同然に扱い、お世話になったアモンの王ナハシュが亡くなった時には、その息子のハヌンにも真実を尽くそうと願いました。しかしハヌンが、ダビデが部下(弔問団)にひどい侮辱を加えたことから、アラム部族も巻きこんだ大戦争となり、結果は、ダビデ側の大勝利に終わりました。
その後アラムとはイスラエルと和を講じましたが(10:19)、アモンとの戦いは続きました。イスラエル軍は再び隊を整え、年明けにアモンと戦い、壊滅的な打撃を与えました。しかしなぜか、ダビデは自分の王宮のあるエルサレムにとどまっていました。そればかりか自分の部下が命を懸けて戦っている時に、夕暮れまで寝ていたのです(2)。自分が直接、出て行かなくても良いほどに、盤石な体制が整っていたという意味では良かったのですが、この「油断」が「心の隙(すき)」となり、罪の温床となりました。◆聖書の中の箴言には、怠惰に関する戒めが沢山出てきます。「なまけ者の欲望はその身を殺す。その手が働くことを拒むからだ。この者は一日中、自分の欲望に明け暮れている。しかし、正しい人は人に与えて惜しまない。(21:25-26)」、「戸がちょうつがいで回転するように、なまけ者は寝台の上でころがる。(26:14)」
そのダビデが、夕暮れ時に起き上がり、のんきに屋上を散歩していた時のことです、一人の女性が、体を洗っているのが見えました。しかも彼女は「非常に美しかった(2)」。ダビデは、自分の好奇心を抑えられず、すぐに人をやって彼女のことを調べさせました。すると彼女が、自分の部下ウリヤの妻バテ・シェバであることがわかりました。人妻です。それなのに、ダビデは自分の気持ち(欲望)にブレーキをかけられず、使いのものをやって彼女を召し入れ、彼女と寝たのです。ほどなくして、彼女から「みごもりました」との連絡が入りました(5)。◆この一連の出来事に、バデ・シェバの気持ちは全く出てきません。ある人は「彼女が抵抗すればよかったのに」と思うかもしれませんが、当時の王様と庶民の関係では、おそらくできなかったのでしょう。またある人は、人(この場合は王宮)から見えるところで肌を見せること自体が間違っていると非難します。確かに、女性側が、弱い男性に配慮することは大切ですが、当時の住宅事情もわからないので、単純に責めることはできません。
きっかけは油断でした。今までのように必死に祈ることもなくなり、戦いがあっても国は安定していました。そうしたちょっとした気の緩みから、誘惑が入り込んできました。そして、その誘惑が膨らみ、恐ろしい殺人事件、また国の分裂へと発展していったのです。聖書にはこうあります。「罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。(創世記4:7)」「人はそれぞれ自分の欲に引かれ、おびき寄せられて、誘惑されるのです。欲がはらむと罪を生み、罪が熟すると死を生みます。(ヤコブ1:14-15)」◆あなたは大丈夫ですか?あなたは怠惰ではないかもしれません。でも真剣に神様に祈ったり、頼ったりすることがなくなっているなら、それも「油断」ではないでしょうか?そこから欲望(偽りの神)が入ってきます。その「神」はあなたに囁きます。「私に従ったら、もっと幸せになるよ。私は、ヤハウェ(まことの神)よりあなたを満たすことができるよ」。それは異性や、成功や、お金だったり…。そして神様そっちのけで、それを追いかけさせるのです。でも偽りの満足(幻想)は、やがて弾けるのです。そのときになって全てを失うのではなく、今まことの神に立ち返ることができますように。