十字架上の七言その6「完了した」 ヨハネ19章30節

毎年ではありませんが、この時期になると祈祷会で「イエスの十字架上の7言」を順番に学んできました。すでに、2008年、2009年、2011年、2012年、2015年と学び、今年はその6回目となります。それでは第6言の「完了した」を学びましょう。

「完了した」とひと言でいっても、その意味は様々です。最近(2017.4.10)日本を代表するフィギュアスケーターである浅田真央選手が引退を表明しました。彼女の演技や言葉の一つ一つが印象に残っています。2010年のバンクーバーオリンピックの時、惜しくも銀メダルにとどまった直後のインタビューで、彼女は溢れる涙をこらえながらこう答えました。「長かったというか、あっという間だった。(涙があふれ)あっという間に終わってしまいました」。できることは全てやったけど、まだまだ悔しさの残る「終わってしまった」でした。◆その彼女が、この度、完全引退を表明しました。ブログにはこうありました。「突然ですが、私、浅田真央は、フィギュアスケート選手として終える決断を致しました。…復帰してからは、自分が望む演技や結果を出す事が出来ず、悩む事が多くなりました。そして…選手として続ける自分の気力もなくなりました。…私のフィギュアスケート人生に悔いはありません」。ニュースを見た娘は「気力がなくなった」という部分を取り上げたアナウンサーに「そこを取り上げなくてもいいのに」と納得がいきません。でも私は「決して悪い意味じゃなくて『そこまでやりきった』という意味だよ」と答えました。イエス様の「完了した」は、どういう意味でしょうか? 

先日、学びをしている求道者の方に「ヨハネ福音書を全部読む」という宿題を出しました。そして、その次の回に「旧約聖書からイエス様の十字架を理解する」と題し、出エジプトの「過越の小羊」とイエス様の十字架との関連などを学んでいました(内容は「はじめの一歩 第16回」で検索可)。学びを進めていく中で、突然、その方は叫びだしました「いや〜ッァ!!!だから、イエス様は『完了した』って最後に言われたんですね。旧約聖書の約束が『全部、成就した』って意味なんですね!」その通りです!◆人間は、神の意に背いて罪を犯してしまいました。でも神様は人間を完全に見捨ててしまわれず、「こうすることで罪は許される(救われる)」という贖(あがな)いの道をも備えてくださいました。その道は、動物を身代わりに、いけにえとして捧げる、というものでした(出29-30章、レビ記1-7章、民28-29章)。ですから、毎日、安息日ごと、年一回はアロン(大祭司)によって民全体のために、おびただしい数のいけにえが捧げられてきたのです。しかしイエス様は、一度きりで、完全ないけにえとなり、贖いの道を完成してくださいました(ヘブル9章12節)。

ある人々は、イエス様の「完了した」を「終わってしまった」と解釈します。そして、これは志半ばで死んでしまった、人間イエスの無念の叫びだというのです。でもそうではありません!むしろアダムとエバ以来ずっと続いてきた罪と死との戦いに「終止符が打たれた」という意味で「完了した」のであり、勝利の叫びなのです。◆またこの「完了した」は「あなたがたを天の御国へ迎え入れる準備が完成しました」という意味でもあります。天の父はこう叫んでおられます。「さあおいでください。もうすっかり用意ができました(完了しました)から。ルカ14章17節」。すべての準備は十字架上で成し遂げられました。私たちにできるのは、ただそれを信じ受け入れることのみです。私たちは、その恵と信仰によって救われるのです(エペソ2章8節)。