『アムノンの死〜ヨナダブの死の毒』 Ⅱサムエル13章23−38節

<前回までのあらすじ>
前回はアムノンが、異母兄弟のタマルに情欲し、辱しめた挙句、彼女を激しく嫌い、追い出したという、痛ましい事件を読みました。それを聞いてダビデは激しく怒りました(21)。また、兄のアブシャロムは、衣を引き裂き、泣きながら歩いている妹を見つけ、こう言いました「妹よ。今は黙っていなさい。あれはおまえの兄なのだ。あのことで心配しなくてもよい(20)」。そうして、静かにタマルを引き取り、一緒に暮らし、虎視眈々と復讐の機会をうかがっていました…。

それから2年の歳月が過ぎました。あの出来事については誰も口にせず、忘れ去られたかのようでした。そんな時、アブシャロムが羊の毛の刈り取りの祝いをするので、王の息子たち全部を招くことにしました。ダビデも誘われましたが「重荷になってはいけないから」と断りました。この時アブシャロムの心が固まったのかもしれません。兄弟は来るのに、父ダビデは来ない。こんな機会はまたとない!アブシャロムは、「兄アムノンを私たちとともに行かせてください」としきりに頼み、ダビデもそれを許してしまったのです。◆もしかしたら、アブシャロムは最初から復讐以上のことを狙っていたのかもしれません。3章の兄弟リストからすれば、アムノンは長男でした。次男のキルアブは死んだか、王位継承とは無関係だったようです。もし彼がアムノンを殺せば、自分が王位継承者順位で第一位となるのです。そうした野心もあったとも十分に考えられます。そう考えると、この時点で、アブシャロムは、ことの次第によっては、兄弟全部を殺すつもりだったのかもしれません。

ダビデの判断の甘さが目立ちます。前回は何の警戒もせずに、タマルをアムノンの部屋に行かせてしまいました(7)。事件の後も、激しく怒りはしましたが、しかるべき処置を何も講じませんでした。そして今回は、アブシャロムの復讐心や野心を何も見抜けず、アムノンをはじめとする兄弟を彼のところに行かせてしまったのです。この甘さは、彼の性格なのか?年齢からくる衰えなのか?結果、アムノンは殺され、危うく兄弟たちも殺されるところでした。多くの注解者は、このダビデの態度を批判します。◆そういう面は否めません。確かに、彼の判断は甘かった、しかし、それは結果論とも言えます。この後も「ダビデの甘さ」は、何度もなんども登場します。詳しくは少しずつ話していきますが、このダビデの理解しがたい甘さこそ、良くも悪くも、彼最大の特徴だったのです。ダビデは、人並み外れて、情に厚く、人を疑わず、気前の良い性格でした。それはサウルに対する態度や(Ⅰ24:6)、メフィボシェテへの哀れみ(9:7)、アモンの王への真実(10:2)にも見て取れます。

最後にヨナダブに注目します。彼は前回の箇所で、ダビデの兄弟シムアの子で、アムノンの友人で、「非常に悪賢い男だった」と紹介されていました。そもそも彼が、アムノンに入り知恵をしたから、タマルの悲劇は起きたのです(3-5)。それなのに二度も「アムノンだけが死んだのです」と、冷静沈着にダビデに伝えているのです。自分の助言を聞いた友人アムノンに対する哀れみはないのでしょうか?(ダビデとヨナタンとは大違いです!)彼は、どさくさに紛れて自分の罪をもみ消し、あわよくば昇進をねらう、悪賢い男でした。◆私たちは、自分がそういう人になってはいけないし、そういう人に騙されてもいけません。世の中には、AさんにはBさんの悪口を言い、BさんにはAさんの悪口を言い、自分だけが信頼されるように仕向ける「悪賢い人」がいるのです。彼らの言葉はまさに「死の毒(ヤコブ3:8)」に満ちて、共同体を破壊します。いつも主の知恵によって判断をすることができますように。