<前回までのあらすじ>
アブシャロムがゲシュルに逃亡して3年経ったころ、ダビデの心は、再びアブシャロムを求めはじめました。しかし明確な悔い改めのない彼を、易々と受け入れることはできませんでした。そんな葛藤に気づいたヨアブは、知恵ある女を遣わし、その女の諭しによってダビデはもう一度アブシャロムをエルサレムに戻す決心をしました。しかし、それから2年間、ダビデは彼に一度も会おうとしなかったのです。しびれを切らしたアブシャロムは、ヨアブの畑に火をつけ、強引に再会の約束をとりつけました。アブシャロムはダビデのところに来て、地にひれ伏しました。そしてダビデは、アブシャロムに口づけをしました。
これで一件落着かといえば、そうではなく、事態はさらに悪化していきました。せっかく王であり父であるダビデとの再会が叶ったのに、その直後、アブシャロムは、戦車と馬、それに自分の前を走るもの50人を手に入れ、自分のための護衛兵(私兵)を創設しました。このこと自体は珍しいことでもありませんでした。ダビデもかつてサウルから逃亡していた時、ナバルの護衛兵をしていたことがあるようです(1サム25:16)。しかしアブシャロムのそれは、明らかな謀反(クーデター)の準備でした。◆さらにアブシャロムは、王宮の門に通じる道のそばに立ちました。当時は王が最高裁判官も兼ねていたので、多くの人々が問題を訴えに来ました。彼は、その一人一人に「あなたはどこの町の者か」と尋ね、相手が「イスラエルのこれこれの部族の者です」と答えると、「ご覧。あなたの訴えは正しい。だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら正しくさばくのだが」と言い続けました。「イスラエルの部族の者」と特に記されているのは、もともとサウルが治めていた北イスラエルの人々の中には、ダビデに対して苦々しい思いを持ったままの人もおり、アブシャロムはそういう不満分子を、うまく自分の方に取り込もうとしたということです。
アブシャロムは非常に狡猾でした。5節には「人が彼に近づいて、挨拶しようとすると、彼は手を差し伸べて、その人を抱き、口づけをした」ともあります。前回の箇所には「イスラエルのどこにも、アブシャロムほど、その美しさをほめはやされた者はいなかった。足の裏から頭の頂まで彼には非の打ちどころがなかった(14:25)」ともありました。そこを通るのは、みんな問題を抱え、藁にもすがりたい人々でした。そんな時にイケメン王子から、優しい言葉をかけられ、丁寧にもてなされたら、多くの人はコロッとなってしまうのではないでしょうか?しかも彼は、それを4年間も続けました(7節)。◆その結果6節にはこうあります。「こうしてアブシャロムはイスラエル人の心を盗んだ」。ある人はこの部分を「忠誠心を盗んだ」と訳しました。本来、彼らが忠誠心を向けるべきは、現職の王ダビデでした。しかし、アブシャロムは、現職の王よりも「自分の方が能力があり、あなた方を理解している」と吹き込み、ダビデと民の信頼関係を壊し、その忠誠心を盗み、自分の方に向けさせてしまったのです。それは十戒の第7戒「盗んではならない」を犯す罪でした。
あなたの忠誠心は誰に向けられるべきですか?その人に不満を覚える時、あなたの心が狙われています!横入りする者は、あなたと一緒に悪口を言い、あなたの見方をし、慰めてくれるかもしれません。そうして人は、心を盗まれてしまうのです。◆またその気は無くても、あなたが人の心を盗んではいけません。人に見せるために良いことをして自分に注目を集めようとしたり、苦しみの中にある人に寄り添い、その人が自分を頼るようにしたり。あなたのすべきことは、人の心をイエス様につなげることです。善意からでも横入りする者は、イエス様の邪魔をしているのです。