<前回までのあらすじ>
前回はアブシャロムがイスラエル人の「心を盗んだ」話を読みました。彼は朝早く、王宮の門に通じる道に立ち、一人一人の話を聞き「あなたの訴えは正しい。だれかが私をこの国のさばきつかさに立ててくれたら」と同情し、手を差し伸べ、ハグし、本来の王であるダビデに向くきべ「忠誠心」と「感謝」を自分の物にしてしまったのです。
「こうして四年たって(7)」とありますが、そこにアブシャロムの本気度と執念深さを見ます。今日の箇所で、彼は、満(まん)を持(じ)して行動に出ます。彼は「どうか私をヘブロンに行かせてください(7)」とダビデに願い出ました。表向きの理由は、かつて神様と交わした誓願を果たすためでしたが、本心はもちろん違います。彼は、密かにイスラエルの全部族に「角笛の鳴るのを聞いたら『アブシャロムがヘブロンで王になった』と言いなさい」と伝えておき、それを実行したのです(10)。◆なぜヘブロンだったのでしょうか?前回アブシャロムが、「あなたはどこの町の者か」と尋ねたのは、もともとサウルの支配下にあり、ダビデに占領された北部イスラエルの人々を取り込むためでした。今度ヘブロンで狼煙(のろし)をあげたのは、自分が南部ユダの人々の味方でもあることをアピールするためでした。これだけ見ても、彼のクーデターが、いかに綿密に計画されたものであるかを知ることができます。そしてもう一つ、彼の狡猾さは、アヒトフェルを自分の味方につけたことでした。
アヒトフェルはダビデの議官(英 Counselor助言者)の一人でした。ですから彼は、ダビデの表も裏も、その弱点まで、知り尽くしていました。実際、この彼の助言が、今後、ダビデを窮地に陥れます(17章)。詳細は省きますが、このアヒトフェルは、バテ・シェバの祖父(おじいちゃん)でした(11章3節、23章34節)。身から出た錆とはこのことで、ダビデが犯した罪の「歪み」が、こんなところにまで影響を及ぼしているのです。◆ダビデはまるで犯罪者のようにエルサレムから逃げなければなりませんでした。彼は言いました。「さあ逃げよう。彼がすばやく追いついて、私たちに害を加え、剣の刃でこの町を打つといけないから(14)。」興味深いことが二つあります。一つは、ダビデは「アブシャロムがこの町を打つといけないから」と、自分の安全とともに、エルサレムと町の住民の安全を真っ先に考えたことです。エルサレムは、契約の箱が据えられた「神の都」であり「王の都」でした。ダビデはこの「エルサレム」が、その名の通り「平和」であってほしいと心から願ったのです。
またもう一つは、彼が、この場に及んで、在留異国人の安全を気にかけたことです。ガテ人イタイにダビデは言いました。「戻って、あの王のところにとどまりなさい。あなたを我々といっしょにさまよわせるに忍びない。 私はこれから、あてどもなく旅を続けるのだ。恵みとまことが、あなたとともにあるように。」それを聞いてイタイは言いました(21)。「王さまがおられるところに、生きるためでも、死ぬためでも、しもべも必ずそこにいます(生きるも死ぬも、主君、王のおいでになるところが、しもべのいるべきところです。新共同訳)」盗まれなかった忠誠心がここにあります。◆「自分には居場所がない」と思うことがありますか?でもあなたは、その前に、他の人のことを気にかけ、他の人の居場所を作る者となっているでしょうか?(アドラムの時もそうでしたが)ダビデの周りには、逃亡の時にも彼を慕う人々がいました。それは彼がいつも、どんな時でも、神と人のことを気にかけていたからです。イエス様も自分を犠牲にし、私たちに天の居場所を設けてくれました。私たちも、自分の居場所がないと嘆く前に、誰かのために居場所を作る者となりたいものです。