<17章までのあらすじ>
前回アヒトフェルは「精鋭を選び、アヒトフェルが先頭にたって、ダビデだけを撃ち殺す」ことを提案したが、フシャイは「全イスラエルの軍勢を集め、アブシャロムが先頭に立ち、ダビデ軍を殲滅すること」を提案した。自尊心をくすぐられたアブシャロムは、フシャイの案を採用した。その後ダビデはマハナイムに着き、たくさんの食料を得て力を回復し、軍の立て直しに取り掛かった。アブシャロム軍はヨルダン川を渡り、ギルアデでダビデ軍と対峙することになった。
軍の立て直しは、ダビデの陣頭指揮で行われた。彼は千人隊長、百人隊長を任命し、軍隊を三分割し、それぞれの指揮を、ヨアブとアビシャイ、そしてイタイに任せた。(付記:ある注解者は、この三分割によって、権力の弱まった将軍ヨアブとダビデとの間に確執が生まれたと指摘する)。最初ダビデは自分も行くつもりであったが、誰が言ったのかはわからないが、ストップをかけられてしまう。「敵の狙いはあくまでダビデで、ダビデが倒れれば軍は戦意を喪失してしまう。だから『今、あなたは町にいて私たちを助けてくださるほうが良いのです(3)』というのがその理由だった。ダビデは、アブシャロムのように「自分」にこだわらず「あなたがたが良いと思うことを、私はしよう」とその提案に従った。
これらの組織改革はすぐに効果を発揮した。主戦場は「エフライムの森」であったが、アブシャム率いる全イスラエル連合軍は、密林の中で右往左往し二万人が倒れてしまった。「この日、剣で倒された者よりも、密林で行き倒れになった者のほうが多かった(8)」とあるが、直訳すると「剣よりも密林の方が多くのものを食い尽くした(新改訳2017)」となる。それに対してダビデの軍は、組織が細分化されていたので、密林の中でも指揮系統が乱れることなく統率が取れていたと考えられる。(教会のスモールファミリー化との類似)
アブシャロムの最後はあっけなかった。彼はフシャイの助言通り自分も出陣したが、乗っていたラバが大きな樫の木の下を通った時、自慢の髪の毛が枝に引っかかり、宙吊りになってしまった。通りかかったダビデの家来は、自分では手を下さずヨアブに報告した。それは出陣前にダビデ王が「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ(5)」というのを聞いていたからである。◆しかしヨアブは「こうして、お前とぐずぐずしてはおられない」と言い、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した(14)。そればかりかヨアブの道具持ちの十人の若者も、取り巻いて打ち殺した。彼の遺体は森の穴の中に投げ込まれ、その上に石塚が築かれ、王家の墓には葬られなかった。
アブシャロムの最後はあっけなかった。彼はフシャイの助言通り自分も出陣したが、乗っていたラバが大きな樫の木の下を通った時、自慢の髪の毛が枝に引っかかり、宙吊りになってしまった。通りかかったダビデの家来は、自分では手を下さずヨアブに報告した。それは出陣前にダビデ王が「私に免じて、若者アブシャロムをゆるやかに扱ってくれ(5)」というのを聞いていたからである。◆しかしヨアブは「こうして、お前とぐずぐずしてはおられない」と言い、手に三本の槍を取り、まだ樫の木の真ん中に引っ掛かったまま生きていたアブシャロムの心臓を突き通した(14)。そればかりかヨアブの道具持ちの十人の若者も、取り巻いて打ち殺した。彼の遺体は森の穴の中に投げ込まれ、その上に石塚が築かれ、王家の墓には葬られなかった。
ダビデは、落ち着かない様子で二つの門の間に座り、報告を待っていた。そこにアヒマアツがきて「勝利」を知らせ、続いてクシュ人のしもべが「アブシャロムの死」を知らせました。それを聞いてダビデは身震いして泣き、こう言いました。「わが子アブシャロム。わが子よ わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」(わが子×5)
アブシャロムが今までしてきたことを思えば、理解しがたい反応かもしれない。しかし、この理解しがたい愛こそ、イエス様が「ダビデの子」と呼ばれる最大の理由でもあった。私たちもアブシャロムと同じく、うぬぼれ、神を悲しませ、反抗し、自分の罪の穴の中に自滅して行く存在でした。でもイエス様は、そんな私達を愛し、「私があなたに代わって死ぬ」と十字架にかかり、文字通り、神の子としてくださいました。