<前回までのあらすじ>
前回はシェバによるクーデターと、それを追いかける荒れ狂うヨアブ、そしてそのヨアブの破壊行為から、一つの町を救った賢い女の話を読みました。これでようやく平和が訪れのかと思いきや、どうやらそうでもありません。
今日の箇所の後半には、たび重なるペリシテ人との戦いについて記されています。詳細は省きますが、ペリシテ人側の四人の勇者は、いずれも「ガテのラファの子孫(22)」すなわちゴリアテの親類で、力持ちの大男でありました。その戦いの中で、事件が起こりました。ダビデが、非常に疲れているなか戦いに出たのですが、なんと殺されそうになったのです!その時は、ヨアブの兄弟のアビシャイによって間一髪のところで助けられました。
その時ダビデは、部下たちにこうお願いされました。「あなたは、もうこれから、われわれといっしょに、戦いに出ないでください。 あなたがイスラエルのともしびを消さないために。(17)」。ダビデあってのイスラエルであり、ダビデはイスラエルの希望そのものでした。しかし、その「ともしび」であるダビデは、もはや年老いて、力を失い、世代交代の時も近くなっていました。
話は前後しますが、イスラエルに3年におよぶ飢饉が訪れました。今日の箇所は「ダビデの時代に」と始まっていますが、どの時代のことかははっきりしません。21章の後半からダビデが年老いてからのことであることは分かります。ダビデは、この飢饉を通して、主が何を語られているのかうかがいました。すると「サウルとその一族に血を流した罪がある。彼がギブオン人たちを殺したからだ(1)」とのことでした。このギブオン人はもともとこの地の先住民の一族でしたが、ヨシュアがこの地に入った時にイスラエルと盟約を結び、居住を許されました(ヨシュア9:15)。しかし、その契約を破ってサウルは彼らを殱滅しようとしたのです。
ダビデはギブオン人に尋ねました。「私が何を償ったら、あなたがたは主のゆずりの地を祝福できるのか(3)」。この言葉を読むとダビデの関心事が「飢饉」の先にある「ゆずりの地の祝福(主から与えられた約束の地に住むイスラエルの平和シャローム)」であることが分かります。そのためには、かつてサウルが働いたギブオン人の虐殺が「隔ての壁(憎しみと対立)」の原因となっていることがわかりました。そこでダビデはギブオン人の要求通り、サウルの子孫七人を彼らの手に渡しました(出21:23,34:6-7)。その際ダビデはサウルの息子ヨナタンとの契約のゆえにその子メフィボシェテは渡しませんでした。8節のメフィボシェテは別人です
これは悲惨な出来事でした。確かにギブオン人の殺された数に較べればごくわずかですが、数の問題ではなく母親にとっては悲劇そのものでした。母リツパは春から秋まで山の上にさらし者にされた遺体に寄り添い、野の鳥獣に食われないように見張りました。そのことがダビデの耳に入ると、あわれみ、彼らの遺骨をサウルやヨナタンの遺骨と一緒に父キシュの墓に丁重に葬りました。聖書には「その後 神はこの国の祈りに心を動かされた(14)」とあります。