『ダビデの三勇士』 Ⅱサムエル23章8−39節

<前回までのあらすじ>
前回はダビデの信仰告白でもある詩を読みました。それは彼が、後の王国と子どもたちに残す、信仰の遺産とも呼べる内容でした。23章の初めにあったのは、その王国がイエスキリストにおいて完成するという預言でした。今日の箇所では、そのダビデが勇士達によって支えられていたことを記しています。

まず全体の構造を確認しましょう。その解釈については諸説ありますが、今回のテキストは(主に新改訳2017に基づき)下記のように理解します。①まず、最初に記されているのは三勇士の名前です。その名前は「ヨシェブ・バシェベテ(8)」「エルアザル(9)」「シャンマ(10)」。そして彼らの武勇伝が13−16節に続いています。②続いて、準三勇士の名前が続いています。その名前は「アビシャイ(18)」「ベナヤ(20)」「アサエル(24)」。彼らも輝かしい業績を収めたが、「あの三人(三勇士)には及ばなかった(23)」と記されています。

③そして最後に、ダビデを支えた「30人の勇士」のリストが有ります。そのリストの最後に記されているのが「ヒッタイト(旧ヘテ)人ウリヤ」で、あのバテシェバの夫です。悲しい最期を遂げた彼の名誉が、ここで回復され、代々にわたって、イスラエルで語り継がれることになったのです。39節の締めくくりには「ヒッタイト人ウリヤ。合計三十七人」と有ります。でもここまでの人数を足すと「3+3+30=36人」です。残りの一人は誰でしょうか?それはヨアブだと言われています。あの将軍ヨアブの名前が記されていないのです。それは、他の誰とも別格だったからか、晩年の不従順のゆえか…。

今日は特に、ダビデの三勇士の武勇伝から教えられたいと思います。ダビデがその仲間と「アドラムの洞穴」にいた時のこと (13)、すなわち、まだ正式にイスラエルの王になる前の時のことでした。三勇士は、その頃からずっとダビデを支え続けており、後になってから、すり寄ってきた人物ではなかったことが分かります。その時、ダビデはサウルに命を狙われながら、同時にペリシテ人とも戦っていました。ペリシテの陣営が「ベツレヘムにいた(14)」ことから敵が優勢だったことがわかります。

その時、ダビデは「だれかが私に、ベツレヘムの門にある井戸の水を飲ませてくれたらよいのだが(15)」と言いました。激しい戦いの中で、思わず口にしてしまった言葉かもしれません。でも三勇士はそれを聞き漏らさず、命がけでベツレヘムの門にある井戸から水を汲み、ダビデのところに持って来ました。それを見て、ダビデは飲もうとはせず、主にささげて言いました。「主よ。そんなことをするなど、私には絶対にできません。これは、いのちをかけて行って来た人たちの血ではありませんか(17)」。勿体無くはありません、ダビデはそれを最高に尊いとして、神様にささげたのです。

イスラエル(神の国)は、ダビデ一人の力によって打ち立てられたのではありません。主の恵みはもちろんのこと、彼を支える勇士たちの、一歩も引かない忍耐と、前に進み続ける勇気があって、国は統一し、押し広げられ、守られてきたのです。歴代誌第一11章10節にはこうあります。「彼ら(勇士たち)は、ダビデとともにその王権を強固にし、…主のことばのとおり、彼を王とした人々である。」

私たちも同じです。神の国と教会は、主の勇士である一人一人の献身と犠牲によって打ち立てられ、広げられ、守られていくのです。私たちは、イエス様を本当に王としているでしょうか?この方のために犠牲をいとわず、喜んで仕え、敵には勇敢に立ち向かっているでしょうか?どうか天の御国に行く時、あなたの名前もこの勇士のリストにありますように。