<前回までのあらすじ>
前回は、ダビデに長年仕えたヨアブの最期について読みました。ヨアブには一つ大きな欠点がありました。ダビデはいつも血を流さず、平和的に、南北イスラエルの統一・融和を試みていましたが、ヨアブは自分の感情によって政敵を殺し対立をもたらしました。その血の責任をヨアブは取らなければなりませんでした。
2章の最後は「こうして、王国はソロモンによって確立した」と終っていますが、そのスタートには「気になる二つのこと」があります。まず最初に「ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚(いんせき)の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり(3:1)」とあります。これは出エジプト記で禁じられている異邦人との結婚ではないでしょうか(34:16)?それなのに今日の箇所では全く否定的に書かれていません。
2章の最後は「こうして、王国はソロモンによって確立した」と終っていますが、そのスタートには「気になる二つのこと」があります。まず最初に「ソロモンはエジプトの王ファラオと姻戚(いんせき)の関係を結んだ。彼はファラオの娘をめとり(3:1)」とあります。これは出エジプト記で禁じられている異邦人との結婚ではないでしょうか(34:16)?それなのに今日の箇所では全く否定的に書かれていません。
いくつかの事が考えられます。これまで異邦人との結婚禁止が書かれていたのは、約束の地カナンの地に入って行った後、カナン人および周辺部族と結婚してはならないということで、エジプト人は「まだ」そのリストに入っていませんでした。そもそもファラオの娘が他国に嫁ぐことに前例はなく非常に稀なケースでした。つまり、この時点でこの結婚は、ソロモン王が、外交的な努力で「平和」を実現した成功事例として語られているのです。
またもう一つ気になるのが「高き所」の存在です。3節にはこうあります。「ソロモンは主を愛し、父ダビデの掟に歩んでいた。ただし、彼は高き所でいけにえを献げ、香をたいていた。」聖書通読をしたこのとのある人は「高き所」と聞いて心穏やかではないでしょう。カナンの民が偶像に生贄を捧げるところも「高き所」と呼ばれていました。民数記33章52節には「彼らの高きところを全て打ち壊さなければならない」ともあります。しかし実はあの預言者サムエルも「高き所」で生贄を捧げていました(Ⅰサム9:12,10:5)。どうやらイスラエルの民は、エルサレムの幕屋とともに、カナンのそれとは別物の「高き所」で生贄を捧げていたようです。それが徐々にカナンの偶像礼拝と混同してしまった事が問題でした。
ここでは「主を愛し」「ダビデの掟に歩む」良い王としてのソロモンの姿が描かれています。そのソロモンが、エルサレムの幕屋ではなく、このギブオンで生贄を捧げたのは、やはり対立しがちな北の民への配慮であったと思われます。彼は父ダビデと同じく「イスラエルの平和と融和」に心を砕いていたのです。
治世の初めにソロモンが主に求めたのは「知恵」でした。彼は、今の自分があるのは「主がダビデに施された恵みのゆえ」と感謝しました(6)。そして自分には経験がないことを謙遜に認め (7)、この国の民は「神様によって選ばれた特別な民」であることに言及し、自分はその「しもべ」だと告白しました(8)。その「あなたの民」を「①さばくために」「②聞き分ける心」を求めたのです。①さばくには、「統治する」と共に、「よい関係を築く」という意味があります。②また聞き分ける心には、「神様の御声・御心をしっかり聞き分ける」と共に、「民の声に耳を傾けその真意を聞き分けること」という意味があります。