『ヨアブの最期』 Ⅰ列王記2章1−12、26−46節

<前回までのあらすじ>
前回の箇所で、謀反を起こしたダビデの子アドニヤは、一旦、さばきを免れました。彼は、祭壇の角をつかみ、あわれみをこうことで「彼が立派な人物であれば、その髪の毛一本も地に落ちることはない。しかし彼のうちに悪が見つかれば、彼は死ななければならない(52)」との約束を取り付けたのです。しかし、アドニヤは、ダビデのそばめアビシャグを求めることにより、自らに死を招いてしまいました。

時間的には少し前後しますが、ダビデは最期、ソロモンにこのような遺言を残しました。「あなたの神、主への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。そうすれば、主は私についてお告げになった約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない」(3-4)。

同時に、ダビデがソロモンに遺した言葉には、ヨアブに対する裁きが含まれていました。「また、あなたはツェルヤの子ヨアブが私にしたこと、すなわち、彼がイスラエルの二人の軍の長、ネルの子アブネルとエテルの子アマサにしたことを知っている。ヨアブは彼らを虐殺し、平和なときに戦いの血を流し、自分の腰の帯と足のくつに戦いの血をつけたのだ。だから、あなたは自分の知恵にしたがって行動しなさい。彼の白髪頭を安らかによみに下らせてはならない(5-6)」。

ヨアブといえば、ダビデ王国確立の一番の功労者のはずです。バテシェバの夫ウリヤ殺害の時はダビデと共謀しましたが(Ⅰサム11:15)、人口調査の罪を犯した時には、信仰的な立場からダビデを諌(いさ)めました(Ⅱサム(24:2,3)。そのように、まさに酸いも甘いも共に噛み締めてきた同士です。最後には、アドニヤにくみしてしまいましたが、それにしてもあっけなさすぎる最期のような気もします。彼もまた、アドニヤと同じように祭壇の角をつかみましたが(28)、彼の場合は一切の憐れみも与えられませんでした。

一体なぜなのでしょうか?確かにヨアブはダビデの手に余るところもありました(Ⅱサム3:39)。だから、その存在がソロモンにとって、脅威になると考えたからでしょうか?それとも、やはり我が子アブシャロムを殺されたことへの個人的な恨みから(18:14)、いずれは消さなければならないと考えていたのでしょうか? 

いいえ違います!ダビデが理由としてあげたのは以下の二つの出来事でした。それは、彼が二人の将軍、アブネルとアマサを平和なときに殺害したからです。アブネルとアマサは、ともに敵軍の将でした。アブネルはイシュボシェテに仕え、アマサはアブシャロムに仕えていました。しかしダビデは彼らと積極的に和を講じ、つねにイスラエルの平和と統一を模索していました。それなのにヨアブはそのチャンスを二度とも潰してしまいました。二回とも彼は私怨(個人的な恨みに)よって行動し、殺害したのです(Ⅱサム3:27,20:4-10)。これは後のイスラエルの分裂につながる、大きな禍根を残しました。息子を殺されても、私怨によっては行動しなかったダビデとは対照的です(シムイの件もよく読めば、決して私怨による復讐でないことがわかります36-46)。

あなたは私怨によって行動しようとしていませんか?それは決して神様に喜ばれません!聖書にこうあります。「人の怒りは神の義を実現しないのです。ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。(ヤコブ1:20-21)」